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2012年12月15日 (土)

095 清掃を考える視点

清掃は結果が見える。きちんとやっているか、いい加減か、見れば分かる。
手抜きしたとき、苦情には至らなくても、居住者は、見る人はしっかり見てい
る。
 清掃を考える基準は、見える、見ている、なのだ。
 まず、見える、について。見える、ということは、アピール出来る、という
ことだ。もちろん、そのためには、なんのために何をどうするか考えねばなら
ない。単に、やれば良いというものではない。アピール、ということであれば、
当然管理会社が考えるべき事だが、管理人にとっても価値あるテーマだろう。
 管理人として何をアピールするか。人によって考えは異なるかも知れないが、
ここで一例として、よくやってくれる人、という評価を得るため、と考えてみ
よう。もう一度念を押しておきたいのは、見える、ということだ。つまり、居
住者に親切に対応すれば、よくやってくれるという評価はしてくれるだろうが、
実はそれはその居住者かぎりで、ほかの人には見えない。口コミで広がるとし
ても、何であの人だけに親切するんだ、と逆の評価をする人が居ないとも限ら
ない。しかし、清掃の結果は全ての居住者に見える。この違いを見落としては
ならない。
 例えば、腰壁裾をきれいにすると、廊下全体がきれいに見える。皮肉と言え
ば皮肉、当然と言えば当然だ。清掃すべき範囲外だからしなくて良い。だから、
汚れている。だから清掃するときれいになった効果をアピール出来るのだ。
 とはいえ、良い評判を得るために、やらなくて良いことをやるのは本末転倒
ではないか、と思う人も居るだろう。実は、評判を得るのは目的ではなく、手
段なのだ。評判を得ても、別に待遇は変化しない。では自己満足のためか。自
己満足で良いなら、論も無用だ。
 すなわち、腰壁や裾などの清掃によって、マンション全体がきれいになった
のは管理人がよくやってくれるから、とみなが思うようになれば、廊下やエン
トランスなどは通常はゴミ除去しかしなくても、手抜きと見る人は居なくなる、
と言う効果がまず得られる。
 そしてその効果は、つまり、よくやってくれる人という評価によって、作業
の自由度が広がったため、作業配分を効率化できる、ということだ。すなわち、
良い評判を得ることが目的ではなく、配分の裁量の拡大が目的である。良い評
判は、そのための手段である。腰壁裾などは、廊下や床のように常に人が歩き、
常に汚れる部分ではない。したがって、最初は大変としても、一度きれいにす
れば、以後は毎日の清掃は不要。きれいにしてしまえば、その意味でも楽なの
だ。だから、範囲外であっても、あえてやる価値があると言っておき
たい。

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