2015年11月28日 (土)

仕事論

 評価についての結論を述べたので、最初に戻って、マンション管理人とは
どういう仕事か、というテーマでは無く、そもそも、
どう働くべき仕事なのか
という論をまとめて締めくくりたい。 
 まず雇用形態だが、管見の範囲では、マンション管理人が管理会社の正社
員という話しは聞いて居ない。管見を前提に考えるわけだから、正社員、生
え抜きの管理人の事例ついてご存じの諸兄は、保留の上、読み直して頂くこ
とをお願いする。
 それはともかく、管理会社の正社員ではないのはなぜか。いくつも理由が
あるだろうが、見落としてはならないのは、管理人(派遣)という仕事は、
管理会社の管理委託契約の第一の目的業務ではない(管理事務を下請けに丸
投げすることは許されないが、管理人業務は投げて良い)、と言うことだ。
 管理会社社員のうち、事務担当にはパートや派遣の人が居るとしても、管
理人が接する担当がパートや派遣とは、未だ聞いたことはない。しかし、現
場に、補助としてではなく、専任として配属されるマンション管理人は正社
員ではない。正社員の仕事ではないのが普通の現実としても、現実だからそ
れしかない、それが正しいと言うことにはならないだろう。
 そして、給料論で触れたように、管理人の待遇に将来性はない。管理会社
が管理物件をランク付けして、優先物件にはそれなりの管理人を配属させる
ような異動が普通になるのは50年先だろう。そのときまで給料は上がらな
い。
 すなわち、ここで言いたいのは、このような将来性のないマンション管理
人を(あえて)するという理由は、自分で見つけなければならない、と言う
ことだ。管理会社の本来業務ではないからこそ、仕事の理由は自分で考え、
引き出すしかないのだ。つまり、働く理由が必要な仕事、
働き方を考えるべ
き仕事
、と言うことがある。
 勿論、生活の為に余計な事は言って居られないとしても、終身続けられる
だろうか。他に仕事がないから、という選択?も在るが、それだけで何年続
けられるか、である。ある程度長く働くためには、自分なりに働く意義を考
えておく方が良いのではないか、ということを最後に提案したい。私見では
余計な事は考えずに働く場合、迷いながらも、2年は出来るかも知れない。
でも、給料の額に完全に満足出来る人でない限り、体は続いても、いつしか
モチベーションも消えるのではないか。もちろん、惰性になれることが出来
れば、なんとか続けられるが。
 あるいは、先輩諸兄は管理人という仕事に満足を見つけられているか、と
言い換えても良い。なぜそんな余計な事にこだわるのか、という批判は当然
あるだろうが、これは、2番目、3番目の仕事だからこそ、人生の、自分の
残りの時間の働き方を考えておきたい、と思うからである。終活とまでは言
わないが、最後の仕事であるのならば、仕事、働くということを大切に考え
る最後の時と言いたい。まだ働けるときだからこそ、働く意味、目的をしっ
かり自覚して働きたい。最後だからこそ、自己満足つまり人生としての満足
を徹底的に追求しよう、と言っておきたい。つまり、具体的な内容は人によ
り天地の違いがあるとしても、形としては、自己の満足、納得に徹すること、
それがマンション管理人としての正しい働き方である、と宣言する。
 何も考えずにがむしゃらに働く、最初の仕事はそうでなければならなかっ
たかも知れない。しかし、そういう時期はもう過ぎたはずだ。もう若くはな
いのだ。幸い?マンション管理人はがむしゃらな、時間やノルマに追われる
仕事ではない。だから、のんびりでも良いのだが、残念ながら、のんびり、
では続かない。まあ、そう気が付いてから考えても良い、とも言えるだろう
が、気が付くのは早いほどよいと思うので、あえてお伝えしておきたいと思
って蛇足を続けたのである。

 ・・完・・


★人生の最後の仕事、と言う話しにたどり着いたことで、
 当ブログも最後まで来たわけで、これをもって終了いたします。
★長い間の皆様のご訪問、コメントに篤くお礼申し上げます。


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2015年11月21日 (土)

補足 居住年数のこと

 ここまで来れば、住みたい、住みたくない、という評価の視点の本質が明ら
かになったと思う。
 住みたい、住みたくない、のどちらにしても、今はそこに住んでいないから
こその判断である。つまり、どちらにしろ、これから先のことを考えているわ
けだ。これから先のことだから、煩わしさの待ち受けている所にわざわざ入り
込むのは嫌だ、だから住みたくないと言うのが管理人としての、総論としての
評価になるわけだ。
 そして実は、居住年数の本旨も実はそれなのだ。つまり、今まで何年住んで
きたのか、だけが居住年数の意味では無いのだ。これから先何年住めるか、と
言う意味での居住年数が大事なのだ。過去の居住実績年数、今後の居住可能年
数、と言えば良く分かる視点だと思う。
 物理的な意味では、要するにコンクリートは、放置されていても軍艦島のよ
うに本当に100年の風雪に耐えるが、設備は勿論不可能。10年単位での見
直しは必須。しかし、費用が負担できれば何とかなるだろう。
 それでは、自分の収入と健康はどうか。10年単位で予測出来るか。病気や
事故は予測出来ないから、無いと仮定して考えるしかないが、まあ、何とかな
るだろう。要介護になったときの退去の覚悟だけしておけば良いだろう。
 最後の新参者としてそこでのルールに入って行けるか、の問題。これは住ん
でみないと分からない。
 要するに、今後の居住可能年数などは誰にも分からない。しかし、分からな
いからこそ、改めて考える前提にするのだ。脱線を承知で余計な事を言えば、
マンションなどは終の棲家にはなり得ない、と見習い人は考えている。勿論、
最期まで人の助けを借りずに一人で生活をやりきる人はいるとしても、誰もが
出来るコトではない。要介護の可能性が高いと思っておく方が無難だろう。
 まあ、子供が中学終わるまで、とか出向が終わるまでだから、築30年ある
いは築40年だけどいいや、と言う程度の漠然とした期間の予定で入居するこ
とあるとしても、ここで言うような意味での居住可能年数を考えて入る人はた
ぶん居ないだろう。
 居住可能年数とは、必要な収入が途切れず、かつ健常であってそこの生活パ
ターンに溶け込める余裕のある期間と、建築物としてのマンション本体の寿命
が両立して居る期間(年数)のことだからだ。そして言うまでもなく、それは
成り行き任せではなく、自分としてどう両立しようと心がけるのか、努力する
するのか、である。
 その二つが何年両立出来そうかという可能性、それが、そのマンションにつ
いての自分の、そして全ての居住者の最終的な評価に他ならない。これからも
住めるマンション、住みたいマンションとは、最低でも築30年の風雪に耐え、
今後もまだ両立の可能性が高いマンションのことだ。
 誠に単純なことだが、建物の寿命と自分の経済的条件の両立は、そこでの生
活の可能性のことだ。その答えが、最終的でかつ唯一のマンション評価である。
年金生活になっても、管理費や生活費が十分まかなえるなら、健常である限り
は、終の棲家と言えなくは無い。そしてそれは、業界誌や業界人による業界的
なランク付けなどとは別の次元の話しであり、其の意味で、いわゆる一般性と
言うものはない。自分だけしか出来ない判断なのである。
 すなわち、誤解を恐れずに言うなら、30年間空室が無かった、という実績
が、満足している、という居住者の評価と見なして良いと思う。それに対して、
そういうそのマンションに住みたいか否かというのは、部外者の評価である。
部外者が、住みたいと思ったら、次は、住み続けられるか、と言う判断に進む。
そしてその時の結論が、マンションの評価である、という当ブログの最終的な
主張である。
 一口で言えば、マンションの評価とは、いつまでそこで生活出来るか、すな
わちそのマンションでの今後の(自分の)居住可能年数のことに他ならない。
そこで最後まで生活出来ると思う居住者が多ければ、そのマンションは良いマ
ンション、人気のあるマンションと言って良い。つまり、高く評価されるてい
る、と言って良いのだ。ただし、その場合は退去がないから、話を聞いて、良
いマンションと思う人が中古で購入して住める可能性がない。言い換えれば、
評価とは、相場やアンケートの回答などではなく、そのマンションの居住者の
居住年数のことなのだ。

 こういう「評価」をデータとして扱えるか。今は無理でも、扱えるときが来
れば、活かせるときが来れば、マンションの造り方、住み方、在り方も少しは
良くなるだろう、と祈り、当ブログの結びとしたい。


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2015年11月14日 (土)

補足 評価の視点

 いわゆる築年数は基本の項目だが、居住年数は、実はほとんど注意されてい
ないと思う。中古物件の案内で、築年数は必ずでているが、その部屋の退去者
の住んだ年数はチラシには出ていない。そんな事にこだわる人が居ないからだ
ろうが、細かいことを言えば、ワンオーナーだったのか、何回目なのかでは、
内部の痛み方、汚れ方も微妙に違うはずだ。現実としては、リフォームあるい
はクリーニング後に売り出されるので分からなくなるから、知る意味があまり
ないとも言えるが。
 しかし、築30年を超えている場合、居住年数には、データとしてそれなり
の、あるいは微妙な意味を持つ。30年の年月は何をもたらすか。そのマンシ
ョンでの生活パターンがぼほ固まって居る場合と、逆に、完全にバラバラで分
解状態の成って居る場合が考えられる。それほどハッキリしていなくても、ど
ちらかに偏っている可能性が高く、それへの対応の問題もあり得るからだ。
 見習い人の現場は築28年で、新規分譲で入居した居住者が過半数と推測で
きる。当然、平均年齢は高い。中学生以下の子供は、5人も居ない。では、生
え抜きの人たちはお互いに顔見知りかというと、必ずしもそうではないのが、
正にマンションであることを証明している。30年近くの間には、何回か管理
組合の役員を経験している人もおおいにもかかわらず、だ。そのためか、必ず
しも細かい規則でガチガチではなく、うるさい人もいる割には、ようは大人の
つきあいとしてまとまっており、言わば、大人のマンションと言って良い。だ
から、長く住んできた居住者にとっては、落ち着いて静かに住めるマンション
だ。みんな慣れているようだが、30年前の設計だから、設備的には、あまり
快適とは思えないし、バリアフリーも無いから、その意味でも見習い人のよう
な高年者がこれから入居するのはどうかな、となる。なおセキュリティも無い
が、そういうことを気にしない単身者なら、静かに暮らせるだろう。
 管理会社は入退去は把握しているから、平均居住年数を算出することは出来
る。勿論、公開しないだろうし、ましてや誰が何年と言うことは個人情報とし
て口を閉ざすだろう。しかし、平均くらいは訊いてみて良いだろう。余計な事
は知らない方がいいのだが、訳あり、の可能性は管理会社に確認しておく方が
良いのではないか。補修、不具合についても一応訊いてみるべきかも知れない。
管理会社がどこまで、どう答えるかは別としても、である。
 そして言うまでもなく、管理状況だが、そもそも完璧な管理などあり得ない
し、手とカネが回らないはずだ。したがって、何に重点を置いて管理している
のか、を観て置けば良いのである。そして、これから住みながらどうするのか
考えるのである。。
 そして一度は、総会に出るべきだ。なにかを議論するためではなく、顔ぶれ
の把握のためだ。議論等については、まだ来たばかりと言って全て逃げ、ひた
すら居住者の情報収集に努める。来たばかりなので、と言ってたまたま隣に座
った人にいろいろ訊いてみても、情報収集のために来ているなどとは誰も疑わ
ない。話せば、長く住んでいるのかどうか位は推定出来るだろう。
 ある程度慣れてくると、○○さんはうるさいよ、とかの情報は自然に入るよ
うになる。管理人は、こういう類の話は飽きるほど聞いて居るが、それなりに
参考になるのは確か、ではある。
 要するに、マンションも人間と同じで、大人になるのには30年近い年数が
必要だ、と思って居れば間違いない。新規分譲のマンションとは、じつは乳幼
児のレベルと言うことだ。そのような視点で見直せば、居住年数も意味を持つ
のは当然だろう。いわゆる資産価値も良いが、そんなことより、そのマンショ
ンは、全体として、乳児なのか、小学生なのか、高校・大学生か、社会人にな
ったか、そして大人になっているか、と観てゆくほうが良いのである。
 すなわち、マンションの究極的な評価とは、そのマンションが、大人なのか
否か、否であれば、小学生か大学生かと言う基準からでなければならない、と
いう結論にたどり着くわけである。


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2015年11月 7日 (土)

補足 築年数と居住年数

 言うまでもないことだが、人と同じくマンションも老化する。今日現在で人
が住んでいるマンションは40年後は全て高経年マンションになる。もちろん、
その前に取り壊されて新しいマンションに成って居るのも少なくないだろう。
しかし、残っている数も全国ではバンパでは無いと思う。
 では、居住者はどうか。今のマンションに40年後も住んでいる人はいるか、
いるとすればどの程度になるのか。どちらも、予想、予測は難しいと思う。強
いて言えば、建物はそのままでも居住者の顔ぶれは一変している可能性のほう
が高いし、もしかしたら誰も住んでいないかも知れない。
 なぜなら、築年数と居住年数は全く別の話しだからである。新築分譲時に
購入して住み続ければ一致するが、そういう人の割合は、いずれ低下してゆく。
 その辺のことは、いわゆる高経年マンション問題として、今後様々な形で対
応を迫られる。タワーマンションを取り壊す時の困難は、見習い人には想像も
出来ない。しかし、何回も述べているように、当ブログは、世帯数で言えば
60から80程度の中小規模を前提にしているので、取り壊しにしても、十分
可能なので、高経年マンションの扱いの問題について今すぐ考える必要は薄い
と考え、省略する
 それでは、マンションの評価に際して、築年数と居住年数の関係はどうか。
第一の前提は、勿論築年数だ。次に、空室の状況だ。居住年数はその後で良い。
例えば、築50年で居住しているのは1世帯だけ、というマンションを人はど
う見るか。ゴーストタウンのようなイメージになるのではないか。たとえ其の
1世帯が新築分譲時からの生え抜きであるとしても、である。ゴーストタウン
ならマンションつまり住居として機能して居ないわけだから、そのようなマン
ションは評価の対象外となる。そう考えるならば、空室の有無はかなり重要
だ。勿論、正確な数字は教えてもらえないとしても現場へ行けば雰囲気で想像
できるはずだ。また同じ意味で、かなりの期間空室のままである場合も、割り
引いて考えた方が良いかも知れない。
 住まいというものは、人が住めば汚れ、劣化、破損もして行くが、では、新
築から一度も人が住んだことがない部屋があるとすれば、それはたとえ10年
前の落成でも何の問題も無くすぐ使えるだろうか。配管や設備は使わなくても
劣化する。例えば、10年間一度も開けなかったドアがあったとすれば、新品
のドアのように軽くスムースに動くだろうか。つまり、使って居ない、とは、
使えない、と紙一重かも知れないのだ。
 かくして、築年数も、理屈では全室に人が住んでいなければ云々する基準に
ならないと思う。

 

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2015年10月28日 (水)

補足 価値の前提

マンションの価値を考えるのなら、築30年以上が最低の前提と言って良いと
思う。
 念のために繰り返すが、ここで考えているのは、いわゆる資産価値の話では
ない。いわゆる資産価値とは何か。売るつもりもないのに売らねば手にできな
いいわゆる資産価値を気にするのはなぜか。実は、マンションの価値というも
のは、普遍性・客観性などは無い。だからこそ、いわゆる資産価値にこだわる
ことになる。ようするに、いわゆる資産価値とは、ステータスと思われている
からである。今、自分は、何千万の物件に住んでいる、と言うことで、かつて
話題になった、いわゆる六本木のヒルズ族にあこがれているのと同じ心理だろ
う。勿論、それを目指すのも別にわるいことではない。
 それはさておき、築30年でも、コンクリート構造部分はさらに30年は保
つと思うが、外壁や設備のメンテナンスは必要であり、補修頻度は高まるかも
知れない。それを踏まえ、更に自分の、あるいは家族の10年後の生活を考え
たとき、築30年のマンションが中古で購入する候補になり得るだろうか。な
り得るか、なり得ないか、それがまさに其のマンションの価値に他ならない。
 つまり、最終的なマンションの価値とは、そこに住みたいと思うかどうか、
住む価値があると評価されるか、と言う実に簡単・単純なことなのだ。もちろ
ん、いわゆる資産価値の高いと思われているマンションに一度は住んでみたい、
と言う発想も当然あり得るし、別におかしくはない。
 一度は住んでみたいと言うのは、言わば、夢であろう。夢であるなら、細か
く検討はしないだろう。しかし、築30年であれば、様々なことを考え、調査
した上で結論を出すだろう。そうして出された評価以外に、評価に値するもの
はない。そしてそこには、其の人の個人的な要素、条件が決め手になって居る
だろう。その意味でも、評価は其の人特有の判断であり、世間一般のものには
なりにくいと思われるが、それで良いのである。評価、とはそもそも、そうい
うものなのだ。
 要するに、マンションという住まいは、築30年を過ぎて、初めて評価の対
象になるというのが当ブログの考えである。そして、評価の結果は、住みたい、
住みたくない(中古で買うか賃貸で入るか、の違いを問う必要は無い)、その
どちらかという簡単な話なのだ。
 築30年を超えているけれど、空きがすぐ埋まってしまう、と言うことが最
高の評価になるだろう。勿論、どういう人に、どういう階層の人に人気がある
のか、という要素にこだわる見方もあり得る。しかしそれは、要するに、生活
スタイル、人生観の問題で、自分がどう思うか、だけで良いのだ。

★築30年のマンションに住むかどうかの判断に際して10年後を考える理由
 は、築40年以上が統計では高経年マンションに分類される為である。



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2015年10月21日 (水)

補足 評価の前提

マンションの価値とは、住み続けることによって明らかにされる、と考えるべ
きだが、それは、住み続けるのは、住む価値があると居住者が評価して居ると
いう意味でもある。
 そうなると、当然ながら、評価には時間が必要になる。どのくらい必要か。
たぶん、最低でも30年は必要だろう。様々なことを経験して、なんとか乗り
越えた30年、それ以上の価値はあり得ない。
 勿論、だからといって、最後まで住むべきだということではない。その後転
居しても、一つのマンションに30余年以上住み続けたと言うことに意味があ
るのだ。たぶん、先輩諸兄はお気づきだろうが、会社つとめと全く同じなのだ。
其のマンションに住み続けた年数はまさに其の人の人生なのだ。
 そうなると、新築分譲時のマンションは評価できなくなるが、これから人が
住むのだから、評価以前の段階なのはむしろ当然だろう。
 だから、売買価格にこだわるしか無いのだが、買う価値と住み続ける価値は
別のコトだ。住むつもりはなくても買う人が居ることを思えば、これも当たり
前のことだろう。
 着任前に、現場は築28年と会社から聞かされたときは、そんな古い現場な
のかと失望した。が、行って見ると、汚れはそれなりにあるにしても、決して
ボロボロではなく、まあいいかという印象だった。築28年と言うことは、建
設期間を年数に加えるなら、設計は30年以上前と言うことになる。30年前
の基準だから設備もそれなりのレベルである。そして居住者の年代もかなり高
い人が多い。つまり、年配の居住者は、ほぼ全員が新築分譲時から住み続けて
いるわけで、言わば、マンションとともに年月を過ごしてきた人と見なして良
いだろう。現場に慣れて余裕が出てきてからそういう人たちを改めて観ると、
マンション内でのその人たちの雰囲気はなかなか良いものが感じられた。人と
マンションの雰囲気が一つに成って居ると言っても良い。
 中古で購入して入居した人、賃貸で入っている人たちは、勿論全然雰囲気も
スタイルも違うが、それは当然だろう。
 管理人としては、言わばそのマンション生え抜きの居住者というのは、必ず
しも付き合いやすい人ばかりではない。ある意味ではうるさい。しかし、限度
を心得ている、と言うことは信頼して良い。そうでなければ、今日のレベルか
らすればやや不便なマンションに住み続け、しかも別に出て行きたいとも思わ
ず、少なくとも表面的には坦坦と住み続けることなど出来るわけがないからだ。
生え抜きの人は、そのマンションの難しさも分かっている。
 それでは、そういう事実から導き出せる結論はどう言うものになるのか。
 マンションの評価、価値には、普遍性というものはあり得ない、と言うこと
である。



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2015年10月14日 (水)

補足 評価とは何か

一般論として、管理人は、自分の勤務現場のマンションに住みたいと思うだろ
うか。管理人としての仕事がやりにくい、きつい、と言うことではなく、住み
たいか、である。そんな事は考えたこともない、という管理人がほとんどかも
しれないが・・。
 要するに、マンションの価値とは何なのか、なのだ。
 いわゆる資産価値だが、複数の号室を持って居るのでなければ、資産価値と
は、売るときにしか手にできない。そして、売る、とは出て行くことだ。つま
り、それを手にするためには、要するに安いマンションに転居しなければなら
ない。それを目的に定期的に転居を続けると言うことを本気で実行出来るわけ
はない。最後はホームレスにならなければならないからだ。すなわち、普通の
居住者にとっては、いわゆる資産価値とは、正確に言えば、単なる自己満足に
過ぎない。
 それでは、実際に住んでの感想はどうか。これまたバラバラ。1階と10階
あるいは角と真ん中、南向きか東向きか、極端に言えば、建物の一つの部屋ご
とに違う。言葉としてはおなじでも、満足、不満の理由も全て違うだろう。つ
まり、総合的、統一的な評価は不可能。だから、いわゆる資産価値、つまり売
却相場が云々されるとも言える。
 しかし、評価基準は、じつは、ある。単純なコトで、築何年、で何世帯が住
んでいるか、である。
 では、ワインのように古いほど価値があるのか。
 ここでお断りしておくが、評価とは、価格価値を考えているのではない。住
むに値するか、と言う意味での価値のである。だからこそ、管理人としての評
価に先ずこだわるのである。
 古いと言うことは、劣化があると言うことだ。建築としての劣化ではなく、
バリアフリーなどの不備、いわゆる社会的劣化も避けられない。しかし既に触
れたように、マンションは健常者しか想定していない。その意味では、社会的
劣化とは、居住者が個人で対応すべき問題となる。
 築40年ながら、空き室がない、と言うことは、住むに値するから、と簡単
に評価して良い。
 勿論、経済的、年齢的に今更他に移れない、と言うだけかも知れない。だが、
よく考えれば、人間も、年々劣化つまり老化する。その意味では、建物の劣化
も、ともに歩む、と考えて良い。マンションに住み続ける為の経済力が続くの
なら、それが、住む、と言うことではないだろうか。修理におわれながらも住
み続ける、そういう住み方もあり得るのではないだろうか。つまり、マンショ
ンの価値とは、住み続けることで、自らが見いだしてゆくことではないのか。



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2015年10月 7日 (水)

補足 管理人の評価の矛盾

よくよく考えて見れば、マンション管理人という仕事を始めたとき、誰でも出
来る仕事と聞いているし、一度は経験しても良い仕事と思って居たから、同じ
ような意味で、一度はマンションに住んでもよい、と見習い人も思って居た。
しかし、管理人としてだが、マンションについてある程度知った後では、住み
たくないな、と変化したわけだ。もちろん、これは見習い人だけだとしても、
そういう変化も、一つの評価データになり得るとおもう。
 見習い人の気持ちの変化は、要するに、考えもしなかった煩わしさに参った、
そしてその煩わしさは、自分が要介護になったら耐えられないと思ったからな
のだが、それはしかし、考えすぎかも知れない。
 管理人であれば、あまり話したくない人とも相談したりしなければならない
ときがある。あるいは、管理組合の理事長には必ず話をしなければならない、
と言うことが、煩わしさなのだが、居住者であれば、別に管理人と同じ対応の
必要は無いから、みんなも住んでいられる、とも言える。
 そして言うまでもないが、マンションについて考えるときの前提は、現に自
分が勤務している先である。つまり、実は、○○マンションには住みたくない、
今からは住めない、と言っているのだ。マンションという所について全く知ら
ない自分が想像で、一般論として住みたくない、等と言って居るのではない。
 それでは視点を変えて、人に勧められるか、を考えて見よう。中古で検索し
たら○○マンションも出ていたけどどうかな、と訊かれたらどう答えるか、で
ある。自分が住みたくないのに人に勧めるのはおかしい、と批判されるかも知
れないが、居住者としての経験に基づいて述べているのではないから、評価と
しては有効なはずだ。寧ろ、ある面では正確と言っても良いのではないか。
 例えば、売りに出されている号室の、上下左右の居住者を知っているのは管
理人だけだ。つまり、苦情が出るとすれば、誰が何を言いそうか、なんとなく
予測出来るかも知れないと言うことだ。具体的に言えば、小さい子供が居る夫
婦が入ったとき、子供の走り回る音がうるさい、という苦情が出るとすれば、
上下左右のどこからの可能性が一番高いか、と言うことだ。こういう可能性は
もちろん、管理人でないと分からない。不動産業者も知らない。
 ただし、不動産業者に案内されて来た人に言って良いかどうかとなると、実
は無理だろう。個人情報、名誉の問題に発展する要素があるからだ。一度でも
誰かに言うと、それがどこまでどう広がるか予測出来ない。
 つまり、管理人の評価は正確になるほど役に立たない、という矛盾がある。


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2015年9月28日 (月)

補足 選択の可能性のこと

一般論としては、年数が経つにつれて、マンションの購入の場合の価格は下が
る。もちろん、立地やその他の条件によって、下がり方は一律ではないが、下
がると言うことは、経済的な選別条件が緩くなると言うことだ。つまり、高年
といういうか、築40年位になれば、見習い人を受け入れるマンションがあり
得るかも知れない。そしてそれは、自分も歳をとっているのだから、年取った
マンションがふさわしい、という誠にわかり易い理屈だ。、
 すなわち、マンションと言うとき、新築などに目が行ってしまうものだが、
それが、考え方としても間違っていたわけだ。
 ただし、古いマンションの泣き所は、介護、の問題だ。自分が介護を受ける
ようになったとき、車いすが入れないかも知れない。介護を受けると決まって
いるわけではないが、そうなってからでは遅い。そして要介護になる可能性は、
歳とともに高まると考えざるを得ない。要介護になるか、ならずに済むか、ど
ちらに賭けるか。生活パターン、生活内容によってかなり確率は変わるかも知
れないが、賭け、であることは変わらないと思う。要介護になったら、施設に
入る、介護マンションに移るというのは、見習い人の経済力では不可能なのだ。
 さて、ここまで来れば、考えるときの前提が少し明らかになったと思う。
 すなわち、マンションには住みたくない、と言うとき、今どこに住んでいる
のか、がある。今の戸建てからマンションに移りたくはないと言う場合と、現
在マンションに住んでいて、もうこういう所は嫌だ、となる場合だ。既に述べ
たように、見習い人は戸建てだから、実際の生活経験は無く、管理人としての
経験だけである。生活していない以上、マンション生活のメリットを実感する
ことは出来ないから、マイナス面しか目に入らなくなることは確かであるが、
だから不公平な論だと言うことではなく、一方的であろうと、そういう前提で
見るなら、データとしての意味があると考えて述べている。
 そして戸建てに住んでいる場合、マンションに移ろうと思えば出来る場合と、
難しい場合あるのも当然だろう。
 すなわち、住みたいか住みたくないかと言うだけのことでも、其の人にはど
の程度の選択の可能性があるのか、によって事実上決まってしまうと言うこと
だ。もちろん、一度は住んでみたい、と言う程度の夢?のレベルでの回答でも
良いのなら話しは別だから、正確には、マンションに住んでみたいと思ったこ
とはあるか、という問いと、今、住み替えたいと思うか、と問い直せば良いの
かも知れない。ここでの問いは、言うまでもなく、過去の夢ではなく、今、の
ことだ。



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2015年9月21日 (月)

補足 マンションの本質

マンションが、安定した収入のある健常者を前提にしているのは、ある意味で
は当然のことだ。要するに、マンションというのは、居住者を選ぶ所なのだ。
人がマンションを選ぶのではなく、マンションが居住者を選んでいるのだ。こ
こを勘違いしてはならない。空室が増えるというのは、そのマンションの居住
者選別が厳しすぎるからという、誠に単純な話しなのだ。
 すなわち、今からマンションには住みたくない、というのは、自分を受け入
れてくれるマンションはたぶん無いだろう、ということでもある。いまさら、
其のマンションに合わせた生活は出来ない、と言うわけだ。つまり、家賃を払
う以上の義務、例えば管理組合との関わりはご免だ、である。もちろん、かな
りの数の居住者がそうであるように、分譲で購入しようと管理組合などという
ものは無視すれば良いのだが、最初から無関心の場合と、管理組合というもの
があり、何をしているかを知ってしまった後で無視すると言うのは、やはり違
う。知ってしまった以上、無視するのにも精神的負担があり、意識しての無視
になれるまでは時間がかかる。これは、管理人を経験したための不幸な?後遺
症だ。
 それはともかく、マンション生活で、決定権を持っているのは、人では無く
てマンション本体だ。これは、絶対の前提であり、永遠の真理である。
 例えば、分譲価格が五千万と言うことは、五千万用意出来ない人を排除する
ことに他ならない。不動産屋巡りや、インターネットで検索して、自分に合い
そうなマンションが見つからないのは、マンションから、あんたはお呼び出な
いよ、と言われて居ることなのだ。つまり、マンショ生活の本質は、排除であ
る。何とか住み始めたとしても、ある案件について、総会などで、三分の二の
賛成で成立した場合、それは、反対した三分の一を排除すると言うことに他な
らない。いつも誰かを排除するのが、マンション生活だ。マンションでのトラ
ブルも、本当の目的は排除、と考えると、納得行くだろう。
 もちろん、そういう露骨な表現をする人は居ないだろうが、そういう発想は、
昨今、いろいろとまかり通っているのではないか。
 それは余談としても、排除、と言う本質は覚えておくべきだろう。自分が排
除される側になったとしても、直ちに退去まで進むことは先ず無いが、しかし、
いずれは現実になるかも知れない。そして、そうなっても住み続けるという覚
悟があるなら、マンションでの自分の生活スタイルが決められる、いや、決め
ざるを得なくなる。と言うことは、改めて生活スタイルを考えるエネルギーが
ないと住めない、と言うことだ。もちろん、それは、徹底した無関心、でも良
いのであるが。



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2015年9月14日 (月)

補足 以前からの疑問

老人世代と言っても良い見習い人が、住みたくない、というのは、最後は出な
くてはならない可能性が少なくないからだ。もちろん、法律的な意味では無く、
介護を受けるようになったら住み続けられない、と言う意味だ。これは、バリ
アフリーの有無というような建物の設備や構造のことではない。
 まずはなんと言っても、カネの問題。介護費用が優先になるから、介護を受
けながら、管理費や修繕積立金を払い続けられるだろうか。
 もちろん、必ず要介護になると決まっているわけではないし、なっても出る
義務はない。と言うより、出て行けるかどうかも分からない。歳をとるにつれ
て、転居と言うことは大変な負担になってゆく。転居の苦労よりは不便を忍ぶ
ほうがまだマシだろう。そうして出るに出られなくなるわけだ。もちろん、行
く先がなければ出られない。つまり、入居は簡単だが、事情があるときほど退
去は困難になるという意味になる。
 とはいえ、何が起きても住み続ける、という考え方もあるし、それは、其の
人の生き方、考え方だ。しかし、同じ建物の中にたくさんの他人が生活してい
る、という事実を忘れてはならない。他人のことまで考える余裕がなくなれば、
他人と同じ建物で生活しない方がお互いのためではないか。 
 それは、覚悟の問題、考え方の問題、気持ちの問題なのだが、最期までを考
えると、完全に安心してマンションに住むことが出来るかどうか分からない。
ならば、出る、移る、と言うことを最初から、最後、として考えておく方が良
いのではないか、と言うことだ。出る、と言う前提ならば、賃貸が良いのは言
うまでもない。金の切れ目がマンションとの縁の切れ目、である以上、マンシ
ョンでの生活には、終わりがある。
 正確には、ある年代を超えたら、最期のこと、退去までも考えておかねばな
らない、いや、ならなくなるということだ。人間は歳とともに、生活も考え方
も変わるのだが、建物は変わらないが為に食い違いとなる。劣化の補修や大規
模修繕はあるにしても建物の構造は最期まで変わらない。しかし、入居当時の
生活からは変わってゆく。もちろん、住み慣れれば、不便にも慣れてしまうも
のだが、簡単に言えば、マンションという住まいは、最期の時まで住み続けら
れるのか、誰にも分からない。そしてそれは、歳を重ねる毎に痛切になる。
 そしてそれは、どこにも明文化されていないが、そして、明文化、公言され
る可能性もないが、マンションというのは、経済的にも安定している健常者が
住むことを前提にしている住まいではないか、というのが、見習い人の、以前
からの疑問なのだ。経済的な安定と健常者あること、誰もが全う出来るわけで
はない。自分はどうなるのだろうか、である。
 だから、老人世代の見習い人は、今更、これから、マンションには住みたく
ない、住めない、ということなのだ。



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2015年9月 7日 (月)

補足 住みたくない、の本音

 評価の前提は一つではないと思う。最初から、投資用に考える人も
いれば、事務所、仕事場に考える人もいるはずだ。しかし、ここでは、住む、
を前提にしたい。
 さて、管理人からの評価を集めたら、とにかくバラバラで収拾が付かなく
なるかも知れない。住みたい、住みたくない、のどちらの場合でも、人によ
って先ず基準が違うはずだ。つまり、前提が人によって違うから、住みたい、
という言葉は同じでも、理由は全く違うかも知れない。
 いずれにしろ、住みたい、は肯定で、住みたくない、は否定と考えるが、
まずは、住みたくない、から始めよう。
 言うまでもないが、住みたくない、の基準も人によって違う。住みたいか
どうか訊かれたとき、すぐ頭に浮かぶのは何か、である。そのときたまたま
浮かんだことかも知れない。10分前のトラブルの為に、とっさに、もう嫌
だ、と返事してしまったかも知れない。反射的な評価でも構わないと思うが、
落ち着いているときなら、そこの管理人は、そのマンションのどこを一番気
にしているか、なのである。そしてそれでも、完全に個人的な感情であろう。
つまり、客観性など全く無いと言って良い。だから、管理人が変われば、見
るところ、感じるところも違ってくるはずだ。
 しかし、完全に、個人的、感情的だからこそ、その評価に意味があると考
えるべきだ。居住者がそのマンションを選んだ理由だって、居住者毎に異な
っているはずだ。
 それでは、どうして住みたくない、と感じるのか。その言葉の裏、実はそ
れが情報なのだが、そこまでデータとして収集するのは至難の業だ。何より
も、感覚、要するに直感的な判断だからだ。本人だって自覚してないかもし
れない。少なくとも、理屈として考えているわけではないだろう。
 最初に、住みたくない理由として煩わしさをあげたが、それは管理人特有
のものとして一応別にすれば、やはり、住む、と言うことへのこだわりだ。
生活は出来る、でも、最後まで住むことは出来ない、と言えば良いだろうか。
管理費が払えなくなれば住めない、と言うことだ。
 毎月、年金以外に収入がなくなったときの心細さは、そのときにならない
と、経験しないと分からないだろう。だから、若い世代の入居者は考えたこ
ともないし、予測して貰うことも無理だ。しかし、実感として分かるとき、
もう打つ手はない。そうなっても、マンションに住めるか、である。
 賃貸も家賃払えなくなれば住み続けられなくなるという意味では同じだが、
家賃の安いところを探すという手が無くはない。
 まあ、最後、そして最期を考えると大差なさそうだが、マンションの場合
は、要するに集合住居特有の問題があり、それがイザと言うとき決定的な障
害になるような気がするからである。
 別な言い方をするなら、住みたくない、と感じるのは、自分が、高年、い
や、老人世代に成って居るからだ。


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2015年8月28日 (金)

補足 分譲、の疑問

最初の評価として、マンションは買ってまで住むものではなく、賃貸で住む
ものだ、と言うのが見習い人の評価である。では、それは、マンション一般
なのか、現に自分が勤務しているマンションのことなのか、が次に問われる
だろう。つまり、そのマンションは、そこに勤務している管理人が自分も住
みたいと思うマンションなのかどうか、と言う評価データである。
 こたえは同じだが、勤務先を前提にしている。で、賃貸なら住んでもいい、
である。逆から言えば、買いたいとは思わない、である。
 ただし、このばあい、居住者のことは関係無い。フロアが違えば相性の悪
い人ともたぶん会わないし、賃貸なら、退去も売却より遙かに簡単だ。
 買いたいと思わないのは、先ず、買う、意味から始まる。持ち分に応じた
区分所有権、とは、あくまで法律上の考え方に過ぎない。マンションを買う、
とは、一棟丸ごとのことでなければ成らない。もちろん、限られた人には可
能なことだ。マンションを指さして、あの建物は俺のものだ、そう言えるな
ら分かりやすい。
 つまり、一棟丸ごと買えない見習い人にとって、マンションを買う、いわ
ゆる区分所有と言うことは実感として信じられない。だから、マンションと
は買うべきものではない。そういう単純な理屈だ。
 マンションにおける所有権は、生活とは切り離されている。そのことにな
じめないから、買う、が出来ない、と言うことなのだ。例えば、マンション
に中庭などがある場合、言うまでもなくそこは共有部分だ。だから、花一つ
勝手には植えられない。それどころか、植木鉢一つ置くことすら自由には出
来ない。生活とは直接関係ないが、窮屈で不便である。人はやはり緑は恋し
いから、厳密には避難路のペランに鉢植え置く人が多くなるわけだが、土に
親しむ楽しみを持つ人はマンションに慣れるまで時間がかかるかも知れない。
完全に自由でなければ、買う、とは言えないのではないか。
 普通、買うか賃貸かと言うときは、家賃とローンの比較がほとんどだ。そ
していわゆる資産価値。論じられるのはこの二つだけと言っても良い。
 いわゆる株にしても、今は株券も電子化されているから、もの、としては
実態が無くなっているから、ものでは無くて株主の権利を買う訳で、つまり、
マンションも、区分所有権とは言うが、要するに、住む権利だ。
 しかし、住む権利、というのは、本当はおかしいのではないか。利用権、
と言うべきではないか。区分所有権ではなく、利用権と言ってくれるのなら、
買っておくか、と納得出来そうな気がするのだ。

 話しが脱線したが、賃貸なら住んでも良い、と言うことは、肯定である。
自分の勤務現場のマンションは、良いマンションだよ、と言うわけだ。勤務
先の現場は、住むこと自体に異存はない。ただし、住み方として、買うので
はなく賃貸で、だ。
 賃貸つまり賃借人として住むなら、管理組合とは関わらなくて済む。他の
フロアの人とのつきあいも不要。其の人との相性なども考えなくて良い。そ
ういうことを考えなくてよくなるという意味でも煩わしさが減るわけだ。管
理費や修繕積立金は家賃に含まれているだろうから、間接的には払っている
わけだが、もちろん、退去すれば終わり。つまり、終わりがある、と言う意
味で気が楽になる。そしてそれこそが、マンションの一番の価値ではないか
と思う。



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2015年8月21日 (金)

補足 マンションは買えない

マンションに住みたくない、というのは、正確には、所有者として、である。
だから、賃貸としてなら、逆に一度は住んでも良いかと思う。
 それはさておき、煩わしさについては、まだあるが、同じマイナス要因を
延々と述べる意味はないと思うので省略する。もう一つだけ触れておきたい
のは、マンションの管理は大変だ、と言うことだ。管理が大変な住まいなの
だ。これももちろん、管理人を経験したからこそだ。言わば、楽屋裏を見て
しまったからではある。
 居住者はたぶん無関心か、あまり理解していないかと思うが、マンション
は様々な定期点検が実施されている。専有部分に必ず立ち入るのは、雑俳水
排水管清掃だ。あとベランダに避難設備のある部屋にも立ち入りはあるが、
それ以外は、居住者の目にとまっていないかも知れない。
 マンションでは当然の、建築設備、給排水、防災、電気、等に関しての定
期点検は、戸建てには無い。ポンプなんてものも、普通の戸建てにはない。
エレベーターも然り。エレベーターが止まったときの不便さは誰もが一度は
経験していると思う。そのことだけでも、マンションは手間がかかるのが分
かるだろう。管理は大変、だから管理会社に委託して、また管理人も来て貰
う、ということなのだが、それは住んでいる限り、永久なのだ。戸建てなら、
今年は辞めておこう、で済むが、マンションだとそれが出来ない。
 コンクリートの寿命は、戸建て住宅の比では無い。その意味からすれば、
定期の点検はどこまで必要なのか、である。もっとも、点検をまかされた業
者がどこまできちんと行うのか分からないから、それでいいのかも知れない。
ただしこれは、どの業者もいい加減、という意味ではなく、払う金額に応じ
てしかやらない、と言う意味だ。値切れば点検レベルも下がるだけの話し。
 段取りや手配は管理会社がやるが、それはつまり管理の手間が増えること
だ。ただし、先走って言えば、見習い人はいわゆる自主管理を勧めるもので
はない。自主管理は、何かあったとき、責任の取り方が難しい。そういう難
しいことまでして、そこまでしてマンションに住まねばならないのか、であ
る。
 そしていうまでもなく、管理費がかかる。しかも、永久に。ローンはいつ
か終わるが、管理費に終わりはない。まあ、生活費の一部と思えば良いのだ
ろうが、これも途方もない話しだ。
 ただし、見習い人は、管理費は安いほどよいとは思わない。管理がいかに
大変なのかはわきまえているつもりだ。寧ろ、安すぎる、と言っても良い。
もちろん、住んでいないから言えるのはたしかだが・・。 



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2015年8月14日 (金)

補足 境は壁だけ

マンションに住みたくない、少なくとも、住んでみたいとは思わないのは、
煩わしいからだ。これは、たぶん、管理人と担当だけの感覚で、居住者はそ
うは感じていないと思う。
 煩わしいのは、全居住者と接しなければならないからだ。接する、とは言
っても、毎日全員に会う、と言うことではないが。
 では、居住者が感じないし、思わないことを述べる意味はあるのか。管理
人や担当の本音に興味の無い人には無用だろうが、実は、管理人は普段何を
しているのか、だけでなく、どう言うことを考え、感じているのか、も知り
たいときに知る方法がないのだ。管理会社等のサイトに、現役の管理人の一
言、コメントなどが載っている場合があるが、そこでは、建前、少なくとも
差し障りのないことしか言えないはずだ。
 それはさておき、陰険な居住者、異常な居住者が居ることについてはどう
かと言えば、もちろん、迷惑この上ないが、しかしここで言う煩わしさ、と
は少し違う。住むフロアが違えば、そういう人が居ることすら知らなくて済
むかもしれないからだ。
 煩わしいのは、接したくない人とも接するときがあるからだ。具体的には、
壁一つ隔てて他人が居る。其の人と、相性が悪い時を考えて貰えば良い。
 戸建て住宅でも、トラブルはある。しかし、お互いに違法建築で無い限り、
1メートル以上離れている。この距離の意味、価値は絶対だ。ビルというも
のは、壁一つが境である。これは変えられない。だからこそ、煩わしいのだ。
壁一つ、と言うことは、何かあるとき関係するのは両隣だけではないからだ。
これは、リフォームするとき、どの辺まで挨拶するのか考えれば分かると思
う。音は、斜め方向にも伝わる。こじれたら、先ず修復出来ない。
 何もないときは、隣とは何とか大人のつきあいをするのが普通だろう。隣
の生活パターンが違うときは、隣にもかかわらず接しないかも知れない。だ
から、気にするほどもあるまい、と言われるかも知れないが、管理人として、
全居住者と接する煩わしさを経験してしまったからには、いつそれに近いこ
とが起きるかも知れない世界には住みたいと思わない、と言うことなのだ。
 別な言い方をするなら、図太い神経でなければ、死ぬまで住み通すのはつ
らいと言うことだ。ただし、賃貸なら違うだろう。仮住まい、ということで
割り切れるかも知れないからだ。だから、分譲ではなく、賃貸なら良いかも
しれない。ビジネスホテルと思えば、寧ろ、住めるかも知れない。それは、
一人になったときの楽しみ、として密かに仕舞っておきたい。



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2015年8月 7日 (金)

補足 最後の問題

 

そろそろ最後の問題に進みたいと思う。
 それは、評価、の問題だ。
 評価というと、客観性が問われると思う。しかし、マンションについて、
客観性というものは不可能、あり得ない、と言うのが、当ブログの前提だ。
客観性があるものの例として、マンションの価格を考える人もいるかも知れ
ないが、根拠が明示されていないのだから、客観性はない。
 新規分譲であれば、建設費の総額は分かっても、その部屋だけの費用は算
定不可能。場所、その他によってイメージ出来る金額に過ぎない。簡単に言
えば、売れる値段かどうか、だけである。中古となれば、買ってくれるかな、
以上の基準はあり得ない。
 つまり、価格からして主観的なものだ。まあそんなものかな、と思う人が
多いか少ないか、だけが基準、と言っても良い。
 と言うことになれば、好き嫌いという個人的な感覚も、十分意味があるわ
けだ。要するに、同意してくれる人が多いか少ないか、だけだから。
 前置きはそのくらいにして、具体的に管理人として勤務している人の判断
を見てゆこう。管理人の仕事に関係するものと、個人的な印象の場合とでは、
見ることや見方が違うかも知れないが、客観、等と言うことはあり得ないの
だから、管理人の話についても意味の違いはさしあたり無視で良いはずだ。
 では、先ず管理人に聞いてみたいのはどんなことか。これも順不同で構わ
ない。管理人の話が、情報としてどの程度価値あるいは意味があるのか判断
するのは受け手だから、送り手としての管理人は言いたいことだけ言ってて
良いのだ。
 まず、管理人として勤務している現場のマンションに、自分も住んでみた
いと思うか、と言うことから始めて見たい。
 たぶん、管理人自身の住まいが、マンションなのか戸建てなのか、で二分
されるかも知れない。自宅もマンションなら、当然全てを比較しているはず
だ。管理人の仕事も見ているだろう。そうなると、戸建てから通勤している
管理人とは話しがかみ合わないかも知れない。もちろん、自分のマンション
と比較している分、客観的と見えるかも知れない。しかし。イザ仕事が始ま
れば、そんな事考えている余裕はないのが現実だ。
 対して、戸建ての人は、先入観がないだけに、これまた客観的に見るとも
言えるが、比較の対象がないだけ、より主観的とも言える。要するに、主観、
客観なんてその程度の違いだ。
 見習い人は戸建てからの通勤だが、やはり戸建てから通勤している担当と、
マンションにはすみたくないね、と意見は一致した。以下、そこから始めてゆ
きたいと思う。


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2015年7月21日 (火)

補足 火事・・

 地震、雷(停電)の次は火事。しかし、本火災を経験した管理人は、先
ず居ないと思う。見習い人もそうだから、経験に基づいて述べることはで
きない。 
 管理室に、火災感知器の信号の受信盤はある。しかし、引き継ぎの時、
前任者からの説明はなかった。一度も動作したことなければ、説明しよう
が無いのは仕方ないのかも。担当は知っているはずだが、マンション毎に
違うかも知れないからやっかいかも。
 担当が来たときに、どう操作するか確認しておけばいいのだが、つい忘
れてしまうことも多い。それなら、電話で簡単な対応のマニュアルを頼め
ばいいと思う。色あせたマニュアルらしきものが貼り付けてあるかもし
れないが、そのときは、読んだけど良く分からないので一度説明して欲し
いと言えば良いだろう。緊急時の対応のことだから、まさか断りはしない
と思う。
 もしかしたら、担当が来たとき、立ち会いで触ってみても良いかもしれ
ない。普通のマンションであれば、知らずに変なところ触ったら、消防署
に自動連絡となって消防車がきてしまったとか、消火栓から自動的に水が
出てしまった等と言うことはないはずだ。老人ホーム併設のような複合タ
イプだと、そういう機能が付加されていると聞いて居るが、担当に確認す
れば、自動連絡の機能の有無は分かる。
 さて、受信盤が何かピコピコ点滅したり、ブザーなどが鳴ったらどうす
るか。まずはブザーを止めることだろう。止めるスイッチは必ずある。そ
して、携帯を持って見に行くしかない。当ブログが前提としている中小規
模のマンションなら、せいぜい10階どまりだから、何とか階段で上がれ
るだろう。この時点では、エレベーターは動いているはず。ただし、本火
災の時は止まると聞いて居るので、いつ止まるのか確認しておかないと、
現場に向かうどころか自分が中で閉じ込められる。やはり、階段が安全だ
ろう。
 で、煙が出ている、きな臭い、後は、中に誰か居るのかどうか。携帯か
らすぐ119番するべきか、どの段階ですべきか、その辺は経験無いから
分からない。やはり、担当に確認しておくしかないだろう。119と管理
会社のどちらが優先か。やはり、119だろうとは思う。
 勿論、イザそのときとなったら、落ち着いて出来るかどうかは自分でも
分からない。
 一つだけ言えるのは、管理人は、消防士では無い、ということ。
消化器を持って駆けつけるのと、通報のどちらが先か。通報が先ではない
かと思うが、その辺は、自分の判断、管理会社の方針次第だ。
 とにかく、火事、については、データは集めようがない。



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2015年7月14日 (火)

補足 地震 2

順序が前後するが、地震に戻ってつけ加えておきたい。
いわゆる東北大震災は、2011年。もう4年になるとおもうか、まだ4年
前のこと、と思うのかは人によって異なるとしても、まず、そのあとのこと
を思い出して頂きたい。
 家電ショップ、ホームセンターに行った時、どの商品棚が空っぽだったか。
管見の範囲では、ポータブルラジオ、電池、ガソリン携行タンク、ミネラル
ウォーターなどだったと思う。防災用品も売れただろうが見ていない。
 さて、翌日からのガソリンスタンドでの行列は思い出せるだろう。車なら、
1時間でも待ってられるが、バイクはそうも行かない。結局、バイクは1ヶ
月以上給油できず、乗れなかった。
 以後、車も軽だから元々燃費は悪くはないのだが、E表示のギリギリに減
るまで乗って燃費を計算することはやめ、三分の一まで減ったら給油するこ
とにした。バイクも同様で、三分の一残っていれば、100キロ以上走れる
ので、緊急時も使えるだろうと言うことだ。スタンドの話しでは、消防自動
車は、半分まで減ったら給油するとか。なるほどね、だ。もちろん、入荷し
てから、ガソリン携行缶も買った。今は、ポリタンクだと、スタンドでは入
れてくれない。
 ラジオも買った。電池は、いわゆる充電できるタイプ。それと、懐中電灯。
これはややスリムなタイプをいつも持ち歩くバックに入れてある。勤務中に
使うときはバックから出せば良いし、バックに入れておけば、通勤中の時で
も役に立つ。だから、現場についても、バックに入れたままである。
 そして、忘れてならないのが10円玉。フィルムのケースにつめて、現場
の管理室の机の中に入れてある。置きっ放しだが、万一盗まれても、すべて
10円玉だから、金額はしれたものだ。やく300円。
 災害時、携帯は先ず役に立たない。3.11、電話も携帯もつかえなかっ
たことを思い出して頂きたい。しかし、公衆電話、緑の電話は通じた。その
ためのものだ。勿論、100円硬貨は使えるが、おつりは出ないし、数をか
んがえれば、10円だ。緊急時は用件だけで、長電話はしないだろうから、
10円の方が良い。ただし、昨今、公衆電話ボックスはかなり減っているの
で、場所をあらかじめ覚えておかないと、そのとき途方に暮れてしまう。バ
ックに入れて置いても良いかもしれない。しかし、財布に30コ入れるとか
なり重くなるしかさばる。まあ、イザとなったら、行列かも知れないが、そ
れはもうやむを得ない。
 仮眠の用意、例えば寝袋はどうか。わるくはないが、寝袋だと、床に直に、
である。電車でシートに座っている人は半分は寝ている。つまり、いすで
も眠れるものだ。仮に、一日なら徹夜でも出来るかも。一晩寝なくても死ぬ
ことはない。


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2015年7月 7日 (火)

補足 停電

 雨や風は、要するに天気は毎日変わるし、地震もそうだが、自然現象だか
ら、天気を変えることは出来ないし、地震を防ぐことも出来ない。それは誰
でも納得出来るだろう。
 さて、マンションという場では、誰かの、つまり人間の不手際、不注意に
基づくことながら、イザ起きると対応が簡単ではない、あるいは管理人が対
応出来ないことはたくさんある。それが、マンションというものだ、と言っ
て良い。別な言い方をすれば、コトが起きたとき、どうして良いか分からな
くなるのが、マンションでは当たり前なのだ。例えば、エレベーターに閉じ
込められたらどうなるのか。いずれは助けに来てくれるだろうが、そのとき
までトイレをガマンできるか。こういうことこそが、人にとっては大きな問
題なのだ。
 要するに、マンションほど危険な住まいはないと言うべきだ。まあ、人間
とはいかに弱くて無力な存在か、そのことを実感できるのがマンションとい
う場なのだ。
 まずは、停電。そのとき、管理人に対応策はあるか。工事による予告停電
を別とすれば、手の打ち様はない。そんな事は当たり前と思うかも知れない
が、イザとなると自分もパニックになるだろう。管理人も何も出来ません、
と堂々と開き直れるか、の問題なのだ。開き直れるように心の用意をして
おこう、なのである。
 とにかく、電源が必要な多機能電話機は使えなくなるから、自分の携帯か
ら管理会社に電話することになるが、真っ暗闇?で落ち着いて出来るか、で
ある。たぶん、インターフォンも不能になるから、居住者からのコールが無
いのがせめてもの救いとしても、電気錠、オートロックはどうなるか。
 停電とは大変なことなのだが、だからこそ、工事停電は、実はチャンスな
のだ。マンション全体の電気が止まることは先ず無いとしても、工事によっ
ては幾つかのブレーカーを落とすかも知れない。工事だと特に意識しないか
も知れないが、電気が止まるという意味では停電と同じだ。つまり、停電の
予行演習なのだ。
 管理室のブレーカーを落としたら、何がどうなるのか、何が使えなくなる
のか。見ておく貴重なチャンスではないか。自分がブレーカーに触ってみる
必要は無いし、ブレーカーがどこにあるか分からなくても業者がやるから構
わない。ブレーカーそのものより、電気が止まったら、管理室の機器がどう
なるのか、それだけおぼえておけばよい。
 そしてそういう時、管理人としてなにをどうしたか、これが貴重なデータ
なのだ。そのときのメモ、が、対応事例のデータになるのだ。
 データ、と言うと、数値とかイメージしてしまうかも知れないが、目に見
える形としては、雑多な記録の集まりだ。紙切れに書き留めたもの、手帳に
書いたもの、日報に書いたもの、報告書に書いたもの、それら全てを含む。
要するに、どこの管理人でも、無意識のうちにしていることだ。データ、と
してまとめ直す、1カ所にまとめる、ということをしていないだけである。
 単純に言えば、気が付いたら忘れないうちにメモしよう。それだけである。
強いてつけ加えるなら、どんなときでもメモしよう、それだけである。



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2015年6月28日 (日)

補足 地震

 雨や風に続いて、もう少し自然現象について考えて見よう。
 まず、折に触れて話題になる地震。これには、管理人の自宅、通勤の問題
もあるが、それは省略して、現場だけに絞りたい。
 第一の問題は、近くに火山などの無い都会のマンションの場合、そんなに
あるわけではないことだ。そして、震度で言えば阪神大震災、東北大震災の
ような地震のことが問題で、いわゆる首都圏直下地震について、と言うべき
かも知れない。
 とにかく、予知も出来ないし、防ぐことも出来ない。仮に、1時間後、と
予知されたとしても、1時間以内に、震度3以下の地域まで逃げられるのか、
と考えるなら、逃げることも出来ない、とあきらめる方が現実的だろう。つ
いでに言えば、勤務中かどうかで、話しは全く変わる。
 余談になるが、東北大震災の時は、巡回中で、4階の廊下を歩いていた。
エレベーターは当然止まる。幸いなことに、誰も乗って無くて、どこかの階
で止まったままだった。電話も通じない。勤務室にはテレビもラジオもない
ので状況は全く分からなかったが、駅まで行ってみたら、当然運転中止で、
この様子だと今夜は帰れないかも知れないと思い、何か食べるもの買ってお
くかと思ったが、スーパーは陳列棚の商品散乱とかで臨時閉店。弁当屋はキ
ッチン使えなくなり、おにぎりのみの販売。
 そして気が付いたのは、管理室は仮眠対応ではないことだ。キャビネット
などが倒れたわけではなく、特に異常は無かったが、元々狭い部屋だ。集会
室はスペースあるが、毛布の一枚もない。幸い、電気ガス水道は異常なかっ
たが、どれかが止まったら、打つ手はない。
 このときまで、管理会社にも、災害対応という発想も無かったようだ。研
修でも触れなかったと思う。今は少しは話しているんではないか。 
 さて、本題となるデータのことだが、建物に何か変化、ひび割れなどが生
じたのかどうか、と言うようなことだが、外壁タイルの剥落落下は見ればす
ぐ分かるが、それ以外は先ず無理。仮に、ひび割れが見つかったとしても、
たまたま1時間前にそこを見ていて異常ないのを確認していたので無い限り、
地震によるものかどうか確定できないからだ。
 歩道のコンクリート舗装のひび割れと約2センチの段差が出来ていたほか
は、もしかするとそうかな、というひび割れが1カ所。他は確定できなかっ
た。ひび割れにしても、昨日は無かった等と確信もって断言できないが、そ
れが普通だろう。
 何についてどう備えておくか、は大切なことだが、元になる状況、つまり
3.11の時どうだったのか、等と言う報告は求められなかったから、それ
に基づく対策も未だ無い。集会室に毛布とか防災用品用意しておくことは、
スペース的には可能だが、誰のためなのか、管理人はどうするのか、で必要
なものと量が変わる。元になるデータをあつめなかったのだから、なかなか
進まないようだが、当然か。


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